中国大連の開発区のとある印刷工場でお勤め中の
筆者がなんとなくと言いつつもたまに本気出した
りしなくもない勢いで書いてみたりする日記。
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壁紙と言っても電脳のデスクトップのことだ。
一日中、電脳に向かって仕事をしていることが多いため、壁紙は自分の好きなものを貼り付けている。好きなものと言っても、間違っても「彼女の写真」ではない。彼女は「貼りなさい」と言うだろうが、そういうリクエストは却下だ。 ちょっと前までは星海広場の夜景だった。 昼間はただのだだっ広い場所に過ぎないが(広場って言うぐらいだから)、夜は結構キレイだ。デートコースとしても有名だし。 個人的に好きな場所ではあるが、昼間は知り合いに会う確立が高くて、大抵お互い「連れ」がいるから気まずい思いをする。だから、行くなら夜だ。なので壁紙も夜景だった。 本日切り替えた壁紙は路面電車203路の写真。それも車内。 あの路線は一時期通勤で使っていたぐらい「馴染み」である。 知り合いの日本人で、アレに乗る奴は少ない。 たまに観光で来ている日本人が乗っているぐらいだ。 レトロな路面電車に乗るのが珍しいのか、少々はしゃぎ過ぎの観光客が多いが、「うるさい日本人だなぁ」と思われない程度に抑えて欲しいものだ。 思えば、大連に来て初めて乗った公共交通機関がこの路面電車だった。 最初は料金をどう払えばよいか知らなかったので、停留所に人がたくさんいるのを見計らって、その後について乗ったものだ。今となっては笑い話に過ぎない。 大好きな203路だが、実は終点まで乗ったことはない。 いや、終点の駅は見たことがある。タクシーで行った。 高級マンションがずらりと並んだ場所を抜けると海の公園に到着する。 名前は「老なんとか公園」(←調べろよ!いやめんどくさいし) 老虎灘ではない。あっちはもっと南だ。 彼女が海を見たいというので行ったのだが、たいした施設はないのに入場料10元取られた。二人で20元だ。 車内は夏は暑く冬は寒く、やかましい電車だが、私はそれが大好きだ。 最近大連から二階建てバスが全部無くなってしまったが、この203路だけはなんとか存続させて欲しいと思う。 PR
1月5日。中国台湾の台湾高速鉄道(台湾新幹線)が開業した。台北―高雄間(345キロ)を1時間半で結ぶ。ただし工事の遅れのため5日の開業は板橋駅―左営駅(高雄市)間。台北駅(台北市)を含む全面開業は2月以降の見通しだそうだ。
切符販売でトラブルが発生したことがニュースになっているが、かつての日本でも「みどりの窓口」で切符販売のトラブルが続出した経験がある。台湾新幹線では日本・ドイツ・フランスの技術が混在していることがトラブルの原因の一つだと報道されているが、仮にすべてを日本の技術でまかなったとしても細かいトラブルは発生したに違いない。巨大システムで全くトラブルが無いなど、あり得ないことだ。 新幹線と言えば、大連←→ハルビン(約900km)を3時間で結ぶ計画があるそうだ。中国鉄道部と遼寧省・吉林省・黒竜江省の東北三省は2004年に建設合意書にサインし、もうそろそろ建設工事が始まるらしい。 工事の早い中国のことだからなんとか5年ぐらいで完成させてくれないだろうか。 出来上がったら彼女の実家への帰省が無茶苦茶楽になる。
またしばらくお休みをいただきました。
結婚の再手続きのため、長春に行ってきました。 ***************************************************** 【1月1日】 午前中だけ出勤。 午後は長春行きの切符を買いに彼女と一緒に大連駅へ。 2Fの切符売り場はものすごい混雑。一つの窓口に30人ぐらい人が並んでいる。 切符売り場のホールだけで400人ぐらいはいるだろうか。やはりお正月を実家で過ごす人たちが多いということだろう。 列に並んで待つこと30分。切符が買えた。 1月3日の夜8時13分発長春行き快速N133号。 帰り道、勝利広場のラマダ側の歩行者天国入口にある売店で天津甘栗を1斤買った。ここの甘栗は個人的にかなり好き。 【1月3日】 長春への出発日。 正月だし仕事を早々に切り上げて帰ろうとしたが、来客が多くルーチンワークに全く手がつけられない。途中彼女から何度も電話が。そりゃ心配だろう。でも会社を二日間留守にするわけだから、仕事を中途半端にほっぽり出すわけにはいかない。 タクシーに乗って急いで帰宅。私の食事は後回しだ。本当はお風呂に入りたかった。家の温水器は故障中。もうサウナに行っている時間はない。諦めよう。 吉林仕様の服装に着替えて、荷物を持ってタクシーに乗り込む。 駅へ到着。もう改札口が開いていた。 指定席だから急ぐ必要は無いのだが、彼女に置いて行かれないように急いで列に加わる。ホームに下りた。目指すは前回と同じ7号車。ただし目的地は長春だ。7号車の乗務員に切符を見せて車両に乗り込む。今回の客車は木製ではない。寝台は出入り口に一番近い場所の中段二つ。やれやれ、前回は上段でえらい目にあった。中段は多少ましな高さだ。圧迫感は少ない。 荷物を通路側の棚に載せ、下段の席に座る。立て続けに4人の乗客が来た。 一人と三人組。お父さんお母さんとその娘。確かに寝台席は残り4つだが、三人組は妙だ。普通に切符を買えば、席は連番になる。だから上段と下段に分かれて切符を買うというのは解せない。 訊けば下段の席だという。彼女も疑問に思ったらしく、三人とも下段?と訊くと、お父さんとお母さんは娘の見送りに来ただけと判明。なるほど、そういうことか。 お父さんとお母さんは大連にいるのに娘は長春へ?大学が長春にでもあるのだろうか?でも普通なら大連の大学へ通わせるだろう。おばあちゃんの実家にでも遊びに行くのだろうか? まぁ、そこまで訊ねるのは野暮だ。やめておこう。 出発一分前になり、先ほどの両親は車外に出た。 列車が音もなく動き出す。電車に乗り慣れた日本人には、音もなく客車が動き出すこの感覚は何度体験しても新鮮だ。 もう一人の青年は話し好きだったらしく、私の彼女といろいろと会話をしていた。21歳の大学生らしく、長春の実家に里帰りするのだという。 貴方の旦那さんは外国人のようだが、何人か?と尋ねられたので、彼女が日本人だと答えると、雑誌を読んで寛いでいた女の子がこちらをちらりと見た。 別に日本人なんて珍しくないだろうに。いや、火車(列車)に乗る日本人は少ないだろうな。普通の日本人なら長春までは飛行機を使うだろう。 大連で勤めるなら日本語が話せたほうが就職は有利だろうか?とその青年が尋ねた。まぁ、日系企業ならその方が有利だ、と答えておいた。給料も高い。 しかし、最近の日系企業では、日本人社員もそれなりに中国語は話せる。ただし、以前のように、中国語だけ堪能でもダメだ。実務能力があって、多少中国語が話せるというのがベスト。中国語だけ堪能で実務能力に欠ける日本人は使えない。それなら日本語ができる実務能力優秀な中国人の方が日本人より安い給料で雇えるのでましだ。それが大連だ。 ちょっと話が脱線するが、実務能力に長けた日本人なら、中国語を身につけるのも早い。実務で必要とされるスキルは自分で身につける。なぜならば、その方が仕事がはかどるからだ。 大連で必要とされる日本人に求められるスキルは中国語能力よりも実務能力だ。例えば飲食店ならば日本で飲食店での実務経験があれば就職はたやすい。コンピュータ関係のエンジニアも有利だ。製造業の経験者ならば開発区では引っ張りだこだろう。中国語は後から現場で身につければ済む。現場には日本語のできる従業員もいるから当面の仕事は問題ないだろう。 大連では即戦力になるだけの経験を持った人材はすぐ就職できる。 現地採用であるから給料はもちろん日本のそれには遠く及ばないが、中国人の伴侶と中国式の生活を営む限り、日本ではあり得ないような贅沢な暮らしが可能だ。 話を元に戻そう。 彼女が乗務員に確認したところ、消灯は9時40分。彼女が料理店で買ってきてくれたお弁当で私だけ遅めの夕食も済み、そろそろ寝支度をする。歯を磨いて、顔を洗って、トイレへ。 中国のトイレについてはいろいろ誤った情報が日本には伝えられているので、改めて強調しておこう。前回の吉林行きの列車と同様、長春行きの 列車のトイレも清潔で日本のJRとなんら遜色の無いものだ。 前回、駅に停車中はトイレは閉鎖されると書いた。理由はキセル防止だと私は書いたが、どうやら別の理由があるような気がする。 今回の列車のトイレには便器に栓がしてあった。長い棒のついたゴムの栓である。 ニオイが立ちこめるからそれを防止するための栓、というわけではない。 中国の列車のトイレは基本的に線路への垂れ流しである。もし栓が無いとどういうことになるか?外は零下の気温である。冷気がトイレ室内に入り込み、とんでもなく寒い場所で用を足さねばならなくなる。それを少しでも緩和するための栓、というのが私の推測だ。 その推測をさらに進めてみると、駅に停車中、トイレに鍵をかけて使用できなくするのは駅の構内が汚物で汚れることを嫌っているためなのではないだろうか。 確かに駅のような逃げ場がない場所に汚物が線路上に溜まっているのは見苦しいし、夏場ならニオイで大変なことになってしまう。駅以外の場所は広大な東北の大地だ。糞尿はフリーズドライされ、大地に還る。だから没問題というわけだ。 トイレから戻り寝床に入る。セーターと靴下・ももひきを脱ぎ、下着だけの楽な格好になって横になる。今回は列車の揺れが大きいためか、やや胸のむかつきを覚える。しかし、仕事で疲れていたためか、割とすぐに眠ってしまった。 夜中の2時頃、一度トイレに行ったあとは熟睡。朝6時に灯りがついて起こされた。もうすぐ長春に到着するという。10時間で到着とは、やはり長春は近い。 【1月4日】 役所が開く8時半まではまだ二時間ある。 あまり食欲は無いのだが、駅の食堂で腹ごしらえをする。 後はひたすら時間が経つのを待つ。 いろいろな人たちが出入りする。 スポーツ・シューズを5箱も持ち運ぶ男性。行商でもするのだろうか。それとも実家の兄弟親戚のためのおみやげか。 突然泣き出す若い女性。後から若い男性がやってきた。どうやら別れを惜しんでいるようだ。二人して抱き合っている。 ヤンキー風の10代の男女。彼氏のほうがやたら女の子にベタベタしている。そういうのは映画館とかでやれよ、と言いたくなる。 毛皮のコートを着たハデハデなおねーさん。一緒にいる彼氏はいかにも「ヤ」印系の人だ。 客の周りを忙しく走り回るのは蝶ネクタイをつけた服務員。普通の食堂に蝶ネクタイの服務員は、なんとも不似合いであるが、ここは一応駅構内のホテルの一角であるから、そういう格好なのだろう。 ぼーっと人間観察をしていたら8時を過ぎた。 彼女が出発するよ、と言う。 駅前で並んでいたタクシーに乗り込む。 大連のタクシーに比べて中はとても清潔だ。これは見習って欲しいと思う。 駅前の道を走って行くと右手に軽軌道が見えた。 なるほど、これが長春の郊外型電車か。大連のソフトウェアパークを結ぶ202路の車両と似ている。 中国には路面電車と言われるものは、香港、大連、長春の三カ所にしかないそうだ。私はそのうち二つを見たわけだ。今度、彼女の実家へ里帰りした時は、ぜひこの軽軌道に乗ってみるとしよう。 しばらく走ること10分ぐらい。目的地の外国人結婚登録所に到着した。 まだ職員の人は出勤していなかったがガードマンはもう門を開けていた。この寒さの中、外で待たなくて済んだ。中に入って椅子に腰掛けて職員の到着を待つことにする。 職員が出勤。さっそく書類を作成。 もう一回写真を撮り直すという。バーコード付きの写真であるから、まぁ仕方ない。ただし、良いこともあった。今回は妙に緊張していないので、写真写りが良かった。二人とも笑顔である。しかも、我々の受付は2007年度の第一号。これは縁起が良い。一生の記念になる。 途中、二組目のカップルが来た。彼女がちょっと通訳してあげて、と私に言う。 私たちと同様の日本人男性と中国人女性のカップル。奥様は多少日本語ができるが、男性は中国語は全くできない。 なにやら書類に記載されている内容について、職員の誤解を解けないでいるらしい。私のつたない中国語で職員の方に彼の用意した書類の説明をした。どうやら誤解は解けたようだ。お二人から感謝された。私程度の中国語でも人の役に立つという のは気持ちの良いものだ。私の彼女の面子も立ったし、彼女もニコニコしていた。 書類作成はスムーズに終わり、すぐその足で市内別の役所に移動。 前回は私のビザの問題で結婚手続きは完了しなかったが、今回は大丈夫だろう。 スムーズに手続きは進み、午後一時にもう一度来てくださいと言われた。しかし、彼女が何度か確認とお願いをしたところ、このまま待っていれば、午前中に結婚証明書はできるそうだ。 待つこと一時間。やっと結婚証明書が完成。 晴れて私たち二人は法的に結婚した。時刻は午前11時。 彼女が多少無理を言ったのは午後1時のバスに私を乗せるためだ。 前回結婚手続きのために一週間も仕事を休んだわけで、今回は可能な限り早く大連に戻らなければならない。 長春駅に戻り、バスのチケットを購入。彼女はそのまま白タクに乗って実家へ。 私は出発前に昼食を摂ることにする。 付近をぶらぶらしていると朝市を見つけた。 ずらりと並ぶ屋台。向こう端までは500mはありそうだ。 売られているものは衣類が多い。寒さが厳しいので防寒具が主流。他に目立つのはアイスノンのようなジェル状の物体が入った温熱カイロ。お腹を冷やさないようにするためのものだ。これがたくさんの店で売られていた。 乾物店も多い。ここでも天津甘栗を見つけた。帰りのバスの中で食べるために1斤購入。一袋13元。ちょっと高いな。ボラれたかも知れない。 一通りの店を見たところで、元の場所に戻り、すぐそばのKFCに入る。 バーガーとチキンのセットを注文。23.5元なり。日本円なら400円もしないが、大連の感覚であれば2400円ぐらい。吉林の感覚ならば、更にその3倍。 7000円ぐらいの食事だ。後で彼女に言ったらちょっと文句を言われそうだ。 オリジナルチキンがいまいち美味しくない。もう少し油気があったほうがジューシーで美味しいのだが。 ここでもトイレを利用。バスでは長旅になる。トイレを先に済ませておくことは重要だ。バスターミナルの例のトイレとはちがって、さすがにKFCは近代的なトイレだった。長春駅周辺で近代的なトイレを利用したい場合、KFCは狙い目だ。 そう言えば、朝利用した食堂のトイレも普通だった。やはりバスターミナルのトイレが特殊なのかも知れない。 バスターミナル2Fで30分休憩の後、12:30にバスに乗り込む。 今回の乗客も少ない。8名。 列車での長旅で疲れていたのか、バスが動き出すと同時に熟睡。 気がついたのは1時間半後。よく寝た。 あとはなんとなく外の景色を見て過ごす。 バスガイドのおねーさんがアナウンス。最初のサービスエリアにまもなく到着するという。乗客8人しかいないし、わざわざマイクでしゃべらんでもなー。やっぱ規則なんだろうなぁ。それにしてもマイクの音声、エコー切りなよぉ。カラオケ歌うわけじゃないんだしさぁ。これも規則なんかな?エコー入れてしゃべるべし、みたいな? 瀋陽まで80km。やはり高速バスは速い。瀋陽まで来れば、後は残り半分だ。 ウトウトしていたところ、急にバスが速度を落とし始めた。そして、路肩に停車。 ん?故障?別にエンジン音もおかしくないし、どれどれ、乗り出して運転席のパネルを見た。別に水温系も異常ない。パンクというわけでもないし。 ガイドのおねーさんが、これ以上は「走不良」と言う。私たちは瀋陽で高速を下りて、瀋陽のバス会社の事務所に行くことになる。そこでバスの代金の精算をして、その後、お客様は列車や別のバスで大連に行くことになるだろう、と言う。 どうやらバスの問題ではないらしい。高速道路が瀋陽より先、閉鎖されているみたいだ。大きな事故でもあったのだろうか? しかし、瀋陽←→大連は片側4車線の広い道路だ。ちょっとやそっとの事故では完全に道路を封鎖するなどあり得ない。 なぜ「走不良」なのかわからないまま、バスは瀋陽で高速を下りた。しばらくして到着したのは瀋陽北駅近くにあるバスターミナル。 ここで、すべての乗客はバスを降りて、事務所に移動。そこでチケットを渡し、料金が半分戻された。瀋陽までの乗車距離に応じた半金を返還したということだろう。 次に、大連までの別の足を確保されるまで待つ。 大連までの最終列車は行ってしまった後だ。 タクシーの運転手が話を持ちかけてくる。大連まで500元だそうだ。払えない金額ではないが、ここは一つ、バス会社の手配を待つことにする。 先ほどのバスガイドのおねーさんが私が外国人で不慣れだということから、先に別のバスを見つけてきてくれた。 別会社のバスに乗り込み、後で来る運転手に言って料金105元を払えば良いそうだ。親切におねーさんに礼を言って、バスの出発を待つ。 運転手がやってきて、乗客のチケットを確認している。 私の番が来て、先ほどの事情をつなたい中国語で説明したが、理解していない。彼はチケットが無いのなら下りろと言う。私はチケットを買うから、と言ったが聞いてくれない。手荒いことは無かったが、やんわりとバスを降ろされてしまった。 チケット売り場がすぐ側にあったので、このバスのチケットをくれと言ったら、もう無いと言う。なんでだ?席は40以上も空いてたぞ? 実家に居る彼女に電話をかけ、先ほどの運転手に事情を説明してもらおうとしたが、運転手はなんで俺がお前の電話に出る必要がある?といった感じで取り合ってくれない。もう一度チケット売り場を見ているうちに、バスは発車してしまった。 いったい、どうすればいいのだ? 電話口の彼女が心配して声をかけてくる。 私は、もうどうにでもしてくれ、といった気持ちになっており、後でまた電話する、とだけ伝えて電話を切った。 大連の友達に電話をかけて、彼の友達が瀋陽にいるから、その友達を通じて瀋陽に一晩泊まり、明日、列車かバスで大連に帰る、という案を思いついた。 しかし、その前にやっておくべきことがある。 先ほどのバス会社のおねーさんがまだいるハズだ。なんとかしてもらえるかも知れない。 おねーさんはまだバスの中にいた。 私の顔を見て、どうしたの?という感じで下りてくる。 私はチケットを持ってなかったから運転手に降ろされてしまった。バスはもう行ってしまった。私はどうすればいい?と彼女に伝えた。 すると彼女は血相を変え、猛烈な勢いで相手会社の服務員を捕まえ、激しく抗議した。あれほど口を酸っぱくして言っておいたのに、どうしてくれるのよっ!っていう感じだろうか。そうこうしていると、長春から同乗していたバスの乗客の人たちがやって来て、今なら事務所に戻るとさらに返金があるよ、それでそこのチケット売り場で大連行きのチケットを買えばいい。7時20分発のバスに乗れる、と教えてくれた。 私はおねーさんに引率され、最初のバス会社の事務所へ移動。さらに30元の返金の後、先ほどのチケット売り場に。おねーさんが私からお金を預かり、チケットを買ってくれた。これで大連に帰れるから、また何かあったら私に言ってね、とおねーさんは言ってくれた。親切なおねーさんだ。なんどもありがとうとお礼を言っておねーさんと別れた。 中国では腹の立つことも多いが、心温まることも多い。東北の人たちは人懐っこくて親切だ。だから私は中国が好きなんだとも言える。彼女の実家へはこれから何度も行くことになるだろうから、今回のおねーさんともまた会う機会があるだろう。今度あったら、またぜひお礼を言いたいと思う。ちなみにバス会社名は「虎」という字が入ったもの。VOLVOのバスだからすぐ判る。 彼女が心配して電話をかけてきた。無事チケットが取れたことを説明し、彼女も安心したようだ。出発まで30分あるので、トイレに行くことにする。バスターミナルの近くでトイレのありそうな場所を探す。近くにカルフールがあるので、あそこならありそうだ。それ以外は、遠く離れたバスターミナルの建物の中もたぶんあるだろう。ただし、ターミナルの入口は反対側だ。1ブロック以上の距離がある。とりあえずターミナルビルの入口に向かいつつ、もしダメだったらカルフールに行けばいいや、と思い移動。ターミナルビルの中に入ると、一応ガードマンに「どこに行くのか」と尋ねられた。「トイレに行きたいんだけど、いいかい?」「いいよ」一年前の私なら、この程度の中国語会話も無理だったろう。言葉が理解できて伝わるというのは、本当にありがたいことだ。 無事トイレをすませ、バスに乗り込む。 バスはまだエンジンをかけていないので車内は寒い。車内温度計の表示は-3度だ。座席に座って出発を待つ。東北の零下の気温は身を刺すように寒い。だからももひきも特別の断熱性の繊維を使ったものを着用し、靴も革製のブーツもちろん内面は断熱加工されたもの、同じく保温性の高い特別繊維のセーター、羽毛を使ったダウンコートなどを着用している。そのおかげで-3度の車内でも座席に座って我慢できるのだ。 出発5分前になって大勢の人が乗り込んできた。12~3人はいるだろう。 やはり別のバスからの乗り換え組だ。 エンジン始動。定刻通り7時20分に出発。バスターミナルを出て、すぐ近くの瀋陽北駅左側、グロリアホテルの対面にある別のバスターミナルに到着。そこで更に3名ほど乗り込んできた。ここで、新たに乗り込んできた人たちのチケットが無いことが判明。私のように降ろされるのかと思いきや、チケットを買うために先ほどのバスターミナルへバスが戻ることに。おいおい、なんだよそれ、といった感じ。 この間20分。まだバスは瀋陽市内をうろちょろしていた。 やっと準備が整ったところで、バスは遠く離れた瀋陽インターチェンジへ向かう。確か高速道路は封鎖されたハズでは...。到着したら、ゲートはすべて閉鎖されていた。すべてのゲートに赤い×印のランプが点いている。進入禁止のゲートが設置され、パトカーも停車していた。 バスはUターンをして市内に戻る。さてこれからどうするのだろう? ICから出た最初の交差点をバスは左折した。すると先ほどの乗客から、俺は駅に行きたい、駅に戻れという声があがった。バスは停車する。先に乗り換えた我々長春組8名のうち女性乗客が、私たちは一般道を通ってでも大連に戻ると言うからこのバスに乗った。駅からバスに乗ったということは、それを承知したということでしょう?今更勝手なことを言わないで、という抗議があがった。駅に戻ったとしても次の列車は深夜か明け方だ。双方納得したところで再びバスは出発。 一般道で大連へ向かう。大連までは400km近くある。高速道路で時速100kmでも4時間かかる。一般道なら何時間かかるのだろう。 しばらく走ると最初の料金に到着した。 ん?料金所?高速道路があるわけではない。有料道路なのか? いや違った。いわゆる通行税を徴収する料金所だ。中国では物流に関しても当然税金をかける。そのわかりやすい方法が料金所での通行税の徴収だ。 通行料を支払った後、バスはのろのろを走り始めた。 なぜ、のろのろなのか? 理由はすぐにわかった。外はものすごい霧だ。5m先は何も見えないかなりの濃霧だ。 なるほど、これで高速道路が閉鎖されたのか。確かにこれでは危なくてスピードを出せない。閉鎖するに限る。 前の車のテールランプだけを頼りにバスはのろのろと進む。この時点で今日中に大連にたどり着くだろうという甘い考えは捨て去った。 瀋大高速が前線に渡って通行止めするぐらいの霧ならば、瀋陽の区間だけの霧であるわけがない。大連でも濃霧でよく空港が閉鎖されるぐらいだ。 運転手には気の毒だが、私は寝ることにした。 車内は暖房が効いてきていて、15度ぐらい。上着を脱いでかけ布団代わりにしてリクライニングシートを倒して寝た。時刻は8時を回っていた。 しばらくするとバスは停車していた。先頭の車が道に迷ったらしい。運転手が地図を取り出してきた。現在位置とルートを確認。これからはバスは独自の道を探しながら大連へと進むことになる。 二つめか三つ目の通行税の徴収所を過ぎたあたりの町中でガソリンスタンドにバスは停車した。給油とトイレ休憩である。 霧で見えないことをいいことに男性陣は皆立ちション。女性陣は建物の中へ。 皆が戻ってきたことを確認した後、バスは出発。しかし、すぐ停車。 今度は何かと思ったら食料の買い出しに停車したそうな。一部の乗客が便利店でいろいろ買ってきた。 気を取り直してバスは出発。私は先に買っておいたビスケットとかっぱえびせんを食べながらしのいだ。水分は飲まない。このバスにはトイレが装備されていないから注意しなければならない。もちろん我慢できなければ運転手に言えば止めてくれる。でも、そういうのは避けたい。 【1月5日】 ウトウトとしていて気づいたら夜中の2時過ぎ。 ここはどこだろうか?おしりが痛い。もうかれこれ7時間は乗り続けている。その前の瀋陽までは4時間のバス乗車だ。反対車線に何台もの長距離バスが通り過ぎる。彼らも高速道路が使えないから、一般道で瀋陽方面に向かっているのだろう。寝台バスの車両が通り過ぎた。列車の狭い寝台ベッドが恋しくなった。背中が痛い。やはりVOLVOの車両に比べるとこちらのバスは乗り心地は悪い。 時計は午前5時。 高校と灯りが灯るとある大通りで一人の女性乗客が降りた。 もう大連地区に来ているらしい。 しばらくまっすぐ走ると開発区へ向かう看板が見えた。どうやらここは金州らしい。さらに進むと、懐かしい瀋大高速の料金所の前に出た。 一人の乗客が料金所で下りた。おそらくタクシーで開発区へ行くのだろう。 (現在、私は開発区の工場へは軽軌道で通勤しているが、来年には開発区へ引越することになると思う。) やった、これで後30分で大連市内に到着する。 大連の市内のイルミネーションが見えたときは本当に感動した。 午前6時近く。大連駅南口に到着。 瀋陽から11時間のバスの旅。運転手に、ありがとう、さようなら、と声をかけた。あの濃霧の中11時間も一人で運転をし続けて大連まで無事我々を連れてきてくれたのだ。 早朝の大連は大勢の清掃員が通りに出て清掃をしていた。 みるみる道がキレイになっていく。 タクシーに乗り私は自宅へと帰った。 (会社へは午後から出社した。我ながら本当に働き者だと思う。自画自賛。) 今回の長春への旅は本当に思い出深いものとなった。 |
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プロフィール
HN:
大連太郎
年齢:
54
性別:
男性
誕生日:
1970/06/09
職業:
技術職
趣味:
インターネット、DVD鑑賞
自己紹介:
中国大連開発区のとある印刷工場でお勤め中。
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